1970年3月3日(3月20日号)、日本初のL版グラビアファッション誌として創刊した『anan』。アラン・ドロンさんや黒川紀章さんからの「創刊おめでとう」のメッセージをはじめ、三島由紀夫さんのエッセイ、加納典明さん撮影のグラビア、石坂浩二さんのグラビア、渋澤龍彦さん訳の「赤ずきんちゃん」など超豪華な著名人のコンテンツが掲載されていました。当時『anan』の創刊がいかに注目されていたされたかがうかがえます。
ちなみに『anan』という名前はモスクワで飼育されていたパンダの名前で、黒柳徹子さんによって命名されたという説も。ただ、雑誌名は同時に一般公募もされていて、東北在住の男子高校生も同じく『anan』と発案していたことはお忘れなく。
『anan』が創刊された1970年といえば、大阪で開催された日本万国博覧会に象徴されるように、日本は高度経済成長真っただ中で活気に満ち溢れていた時代。ウーマンリブ運動が盛んだったり、1960年代後半には恋愛結婚する人の割合がお見合い結婚をする人の割合を上回ったりと、当時『anan』がターゲットにした「若い女性たち」をとりまく環境が大きく変わり始めた転換期でした。
そんな中で『anan』は、これからの時代をどう生きればよいのか私らしくとは何か、を悩み模索する女性たちを応援し、共に悩み、憧れの存在となる雑誌として生まれました。
創刊号では、モデルの立川ユリさんがフランスのELLE編集部を訪問し、そこで働く女性たちの洋服やアクセサリーの着こなしがオシャレだということをレポート。またパリやロンドンの街並みもカラー写真で紹介。1970年ごろから海外旅行が一般化し始めたといわれていますが、海外のファッションはまだまだ未知の領域。これまでの女性誌といえば服の作り方がメインだったのですが『anan』はフランスの洗練されたファッションを紹介し、まったく新しいファッション誌としても女性たちに大きな影響を与えました。
1970年3月3日発売(3月20日号) No.1