『anan』は創刊当時から海外の都市をファッショナブルに紹介してきました。それと同時に日本国内の観光地のことも積極的に紹介し、女性が旅に興味を持つきっかけを作ってきました。1970年、国鉄(現在のJR)が個人旅行客増大のために「ディスカバージャパン」というキャンペーンをスタート。1970年代中盤から1980年代にかけて、旅行の特集をした『anan』などのファッション誌を持って旅行に行く若い女性たちが増加し、彼女たちは「アンノン族」と呼ばれ社会現象にもなりました。ちなみに、「アンノン族」のアンとは『anan』のことで、「ノン」とは集英社の『non-no』のこと。そのブームの先駆けとなったのがこの号です。
『anan』は創刊2号目ですでに「京都・鎌倉・横浜・神戸のお店特集」というガイド的なページを作成。その後も小さな旅特集として、王道の札幌や京都をはじめ、阿蘇、小笠原の紹介、さらに四国女3人旅レポートなる特集まで組んでいます。四国旅レポートには「ムスメが旅に出るということは、親不孝(アバンチュール)をしてみたいナってこと」「お酒ものんでみたい」「行き先を四国にしたのには深い理由はないのです」とあります。この時代の女性たちにとって旅とは大きな冒険、自己解放のひとつだったのかもしれません。
その後一冊丸々で旅特集を初めて組んだのは1972年のNo.47、その名も「日本の旅特集」。伊勢・野沢温泉・尾道・萩といったレトロな旅先を多くのカラー写真や外国人モデルとともに紹介しています。旅特集といっても旅先での様々な観光地やショップ紹介はほとんどありません。特集内に「これからの旅はウーマンリブで行こう」「アンアン流〈ひとり旅〉のすすめ」という言葉が出てくるように、女性同士もしくは女性一人の旅もアリなんだよ、という動機付けのような1冊になっています。
現在、「女子旅」という言葉があるほど旅の主役は女性といっても過言ではありません。1970年代の『anan』が女性の旅の固定概念を変えていったのかもしれません。
1972年2月5日発売(2月20日号) No.47